ゲームとゲーム性と、ゲームらしいゲームとは

今日は、ゲームとゲーム性、そしてゲームらしいゲームとは何なのか、という点について取り上げたいと思う。

ここで言うゲームとは、コンピュータゲーム、ビデオゲームのことを指す。

さて、ゲームを構成する要素を考えてみよう。いったい、どういった要素があるだろうか。

魅力的なグラフィックがありますね。それにストーリーなども重要です。

音楽もゲームを構成する要素ですね。他にも操作性などもあります。

そういったものがゲームを構成する要素だろう。しかし、それよりも大事なもの、この大事なものがないとゲームとして成り立たないものがある。

それは?

それがゲーム性だ。

そもそもゲーム性とはどういったものを指すのでしょうか?

ゲーム性とはルールのようなもの。ルールではあるが、そのルールには楽しむために必要な、という条件がある。

わかりやすく説明するために、ジャンケンを例にしてみよう。

ジャンケンは単純な遊びだが、これだけでも楽しめる遊びだ。このルールは三すくみを用いたものであるが、いろいろなゲームにも用いられていることからも、その面白味というものは理解いただけるだろう。

さて、このジャンケンに次のようなルールを加えてみよう。

100メートルを走った後にジャンケンをして勝敗を決める、という。

バカですか、それは・・・。

普通の感覚なら、ありえない話だと思う。これをやると、遊びとしての面白味が一気に無くなるわけだ。つまり、ゲーム性として成り立たない、ということになる。

ただ、似たような物として、ジャンケンをして負けたほうが100メートルを走る、となると話が変わってくる。ここに、ゲーム性の追加が見られ、人によっては受け入れられるかもしれない。体育会系であれば、面白がってこのルールで遊ぶ可能性がある。

一般的な罰ゲームのようなものですが、その罰があることがゲーム性に繋がる可能性があるわけですね。

ここまで見聞きしないルールではなくても、例えば「あっち向いてホイ」を考えてもらえればいい。ジャンケンに追加でルールをつけて遊びを増したものと判断できる。

このように、ゲーム性は、単なるルールではなく、楽しみを与える、楽しみを増加させるものであるという前提のルールと言える。

このゲーム性が十分でないと、ゲームとしてつまらないもの、つまりはダメゲーとなるわけだ。

具体的にはどういったものでしょうか?

具体例としてアドベンチャーゲームを挙げてみよう。

よくWindows用のエッチなゲームとしてアドベンチャーゲームがあるが、ああいったものはゲームじゃないんだよね。

ゲームとして売られているのですが・・・。

あれはゲームではなく、単なる電子ブックにしか過ぎない。

絵が描いてあり、声が出て、単に文を読み進めるだけ。選択肢はあるものの、その意味するところは乏しい。

昔、本でも選択肢を設け、選んだ選択肢の該当ページに進んで本を読み進めるというものがあることからも、ゲームよりかは本の延長線上のものでしかないことをお分かりいただけるだろう。

ゲーム機で発売され、他のゲームソフトと同じ媒体で展開をしているものの、単なる電子ブック。ゲームではない。

アドベンチャーゲームがゲームではないというのは意外です。

しかし、単に選択肢を選ぶにしても、そこに時間制限というゲーム性を加えることで、ゲームとして成り立ちうる。「サクラ大戦」のアドベンチャーパートのことだ。

他のアドベンチャーゲームにしても、別のことと絡ませることでゲーム性を生み、ゲームとして成り立たせているものは多々ある。

間違ってもらいたくないのは、アドベンチャーゲームがゲームではない。テキストを読み進めるだけのものはゲームとは言えない、ということ。

単なる電子ブックか、それともアドベンチャーゲームかの分かれ目は、ゲーム性が入っているかどうかによるということですね。

別の例としてレースゲームを見てみよう。

レースゲームのゲーム性はレースで1位になることというのが多いだろう。他にも、車やパーツの収集、そしてより速く走ること。このあたりがレースゲームのゲーム性と言える。

ゲーム性があり、そのあとに写実的なグラフィック、直感に作用する操作性、盛り上げるための音楽が加わる。

仮にゲーム性を備えたファミコン時代のグラフィックのゲームと、グラフィックのみ優れたゲーム性のないものとを比べ場合、ゲームとしては前者が上だし、ユーザーも前者を取るだろう。

グラフィックを重視するような意見も聞くことがあるが、グラフィックが第一では決してない。もし、グラフィックが第一であるならば、操作など一切しないドライブ映像が過去のレースゲームより売れているはずだ。

しかし、そのような話は聞かない。

同じゲーム性であるならば、当然、グラフィックの良い方がいいかもしれない。ただ、ここで言うグラフィックは個々人の趣味趣向によって変わるため、何がいいかは一概に言えない。感性の問題だから。

昔ながらのドット絵が好きな人もいるだろうし、アニメ系の絵がいい人もいる。いうまでもなく、実写系を好む人も大勢いる。

ゲーム性が同じであれば、グラフィックだけでなく、音楽や操作性なども重要になるのは言うまでもない。レバーを左に傾けたら上に飛んでいくようなレースゲームでは、楽しむこともできないだろう。

決してグラフィックが不要というわけでもありませんが、まず先にあるべきはゲーム性ということがよくわかりますね。

グラフィックに関してはもう一つ例を出そう。

将棋、という遊びが古くからある。すでにゲーム性は出来上がっているものだ。将棋を語るのにグラフィック云々と語るのもバカバカしいが、一例として語ってみよう。

例えば将棋の駒をアニメキャラクターのフィギュアに変えてみるとする。駒としての役割は同じで、見た目をフィギュアに変える。するとどうなるだろうか。

別のユーザーが付きそうですね・・・。

まさにその通りで、普段将棋をやっていない人に興味を持ってもらえるかもしれない。グラフィックによる一つの効果と言える。

ただ、これは将棋という、ゲーム性がすでに確立しているものを題材にしているからに他ならない。

仮にアニメキャラクターのフィギュアを並べているだけでは、ゲームにはならない。フィギュアの陳列、ディスプレイだ。

あくまで将棋のルールが前提にあり、そのルールの中で駒をフィギュアに見立てたから成り立ち、別のユーザーに興味を持ってもらえる可能性を秘めただけで、フィギュアだけを並べても意味がない。

紙に書いた駒でも将棋は成り立つし、想像で駒を動かしても成り立つ。

将棋がいかに優れたゲーム性を持っているかがわかると同時に、グラフィックだけでは意味のないということもわかっていただけるだろう。

ゲーム性が無ければ、紙に書いた駒なんて漢字の練習にしかならないわけだしね。

ゲーム性が第一にあることはわかりましたが、グラフィック面も重要な要素の一つのように思えますが?

そのあたりはゲームとして見るか、別のものとして見るかの見方の違いによるものだろう。

確かにゲーム性が乏しくても受け入れられるゲームもある。アニメを題材にしたゲームがそれに該当する。

アニメを題材にすると、想定ユーザーはゲームを楽しみたいという人よりかは、アニメにより深く触れていたいという気持ちの方が重要となる。そのため、ゲーム性を重視しなくてもグラフィックや音楽、ストーリーのみで満足する傾向にある。

なので、アニメ系ゲームはダメゲーが多いわけだ。

ただ、勘違いしてもらっては困るので改めて言うが、これは各人の趣味趣向によるものなので、個々人が満足しているのであれば、それ以上とやかく言う必要はない。

メーカーも、そのユーザーの程度を見てか、ゲーム性に時間をかけるよりかはグラフィックさえあればということで、まともなゲームは作ろうとしない。それで相互が満足しているのであれば、それはそれでよろしい。

極端な話、グラフィックを望む人からすれば、ゲーム性に対する優先順位は下がる可能性があるということですね。

それでも、ゲームを語るのであれば、大前提となるのはゲーム性だ。グラフィックなどはゲーム性があってのものにしかすぎない。

このように考えていくと、ゲームらしいゲームとは何か、という問いには、ゲーム性がしっかりしていることである、となる。

そして素晴らしいゲームとは何かとなると、ゲーム性がしっかりしており、なおかつグラフィック、音楽、操作性などが総合的に優れているもの、と言える。

このように結論付けたいと思いますが、ガッテンしていただけたでしょうか。

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『ゲームとゲーム性と、ゲームらしいゲームとは』へのコメント

FF12のガンビットがRPGのゲーム性としてトップクラスでよかったのに、それに追従したタイトルがあまりでなくて悲しい。
据え置きなら、シームレス戦闘はもっと流行るべき。

投稿者 : 匿名

おいちょと待てよWindowsのエロゲーを電子書籍と一緒くたにすんじゃねえよ ノベルゲーも同類かよ

投稿者 : 匿名

つぎは、どのようなゲーム性にしたら
駄目ゲーと神ゲーになるのか
その違いを書いてください

あと、テレビと一緒で前置きが長いですね

投稿者 : 匿名

わかりやすくまとめてありますね。
ゲーム性、とても大事です。

が、最近では逆にそのゲーム性そのものが面倒に感じられて
スマホのゲームとも呼べない単純作業と課金と時間を浪費するだけのものが流行っていたりしますよね。

アーマードコアなんかはゲーム性が素晴らしいけれども、相当練習しないと対戦なんて成立しない。よって面白いと思える人は限られる。というかⅤから入ってついていけなくて挫折した私の感想ですが。

手軽 グラフィック 無料 コミュニティ この4つが揃えば売れる状態?

投稿者 : はむのひと

つまり
どうぶつの森やトモダチコレクションなんかは
ゲームでもなんでもないと言いたいのかな?

あと将棋の例えは
マリオシリーズやアニメ系の無双シリーズのこととかを言っているんだろうか
あれらも既存のゲームシステムにキャラを並べただけのフィギュアの陳列だし

投稿者 : 匿名

個人的にはギャルゲーはゲームだと思ってないので概ね同意。

ただ、『ゲームはグラフィックじゃない』を『だからグラフィックは手抜きしていい』だと思ってるとこが多いんだよなぁ・・・
どことは言わないけど。

投稿者 : 匿名

それはコスティキャンが
16年くらい前に通った道だ。
今更何をゆっているのやら。

投稿者 : すぺらんく

>ここで言うゲームとは、コンピュータゲーム、ビデオゲームのことを指す。

限定する必要ないんじゃないかな?
あと記事ではインタラクティブとエンターテインメントの概念が混同していますよね?

投稿者 : 匿名

(´・ω・`)そりゃゲーム性に優れてるならそれが一番だけど
グラフィックがいいに越した事は無いでしょ
描画性能が良ければ綺麗な画像を出すだけじゃなく
たとえば同時に画面に沢山のキャラクターを出して
同時にプレイする人を多くしたりも出来るよ
そう考えればゲーム性にも関わると言えるんじゃないかなぁ?
性能が低いハードは処理落ちなんかにも悩まされるし

あとさぁ
グラフィックだけ良ければいいと思ってる人間なんか居ないだろ
どっかの人達が生み出した幻想だわ

投稿者 : 匿名

間違えた。
コスティキャンのゲーム論が発表されたのは
94年だから、19年前だ。

しかし、あれから、本記事のようにゲームが進化してきたのは、
残念だけど、当然のことか。
人々は、娯楽で面倒なことなどしたくない。
一部のマゾに向けても採算は取れないが、
自称ゲーマーはやたらと高画質ばかり要求する。
私の携わった某Wiiのソフトなど
企画5人、プログラマ5人、グラフィッカ20人超だったよ。
どう考えてもバランスおかしいだろ。

後戻りできないところまで肥大化してしまったんだなぁ。

投稿者 : すぺらんく

任天堂のキャラクター商法を批判できるとか
このブログも完全に偏ってるわけじゃないんだな
ちょっと見直しましたよ

投稿者 : 匿名

今回の話は面白いですね
逆にゲームはグラじゃないって人もいますが
どうせやるならキレイなほうがいいにきまってますし
まぁその比重はゲームによっても変わるとは思いますが
バランスは大事だと思います

投稿者 : 匿名

「次世代PSや次世代Xboxのグラフィックがすごい?そ、そんなの羨ましくなんてないんだからね!」
って言ってるようにしか見えない・・・

それと この手の意見をよく見るけど、グラが上がるとゲーム性が下がるって決め付けるのはどうかと思う。
グラに人手が掛かって、ボリュームややり込み要素が減るって言うのならわかりますがね。
その理屈だと、ファミコンのスーパーマリオ以降、ゲーム性が劣化していってるということになりますよ?

アドベンチャーだって、選択如何でその先のストーリーが変わるというのもゲーム性の一種だと思います。
選択肢のないノベルは電子ブックって言うのもわからないでもないです。

投稿者 : 匿名

「ゲームがじゃないけど、これはこれで面白いな」「(楽しそうに話しながら)まぁ、ゲーム性は低いよね」という会話は普通にするのですが、あるゲームについてゲーム性がない或いは低いと言うと、それを悪口と取って怒る人がいるのが問題ですね。これではゲーム性の議論もできないと言う。
わたしとしては駆け引きや判断あってのゲームだと思います。

投稿者 : 児斗玉文章

嗜好の多様化で今更ゲーム=ゲーム性が一番大事!なんて
ご自身が少し触れた通り論外では?
その嗜好ゆえにモバ・グリゲーに月云万支払うユーザーがいて市場が成り立ちってるんですし

投稿者 : 匿名

あれか人間は顔では無く心が大事ですよって言う
でも実際はイケメンの方がモテるんだよね

投稿者 : 匿名

過去のコメを、、、あまりにも記事と離れすぎて、やめてしまいましたが。
長くなるので、気になる所をちょっと。

アニメゲーは、ゲーム性を重視して作品の世界観を壊すより、
ゲーム性を外して世界観を壊さないのも一つの判断でしょう。

”連ジ”や”ギレン”のように、世界観を壊さず、
グラもゲーム性も良ければ、もっと売れる。
でも、そのファンに対してであって、ガンダムに興味無い人には、面白く感じないだろうし。

どれくらいファン向け(満足させられる)に作られてるかがポイントでしょうね。
なので、ファンじゃない人がやって、駄目ゲーと思われても、しょうがありません。
ファンがやってダメゲーと思ったら、それこそ本当の駄目ゲー。


>ゲームらしいゲームとは何か、という問いには、ゲーム性がしっかりしていることである

それは、”TVゲーム”って事が外れてます。
例えばゲーム性がしっかりしている将棋のTVゲームが出て、
「ゲーム性がしっかりしているから、TVゲームらしいTVゲームだね」と言えるでしょうか?

個人的には、TVゲームでしか出来ない(代用がきかない)と思われるゲームの事を、TVゲームらしい~と思います。


>素晴らしいゲームとは何かとなると、ゲーム性がしっかりしており、なおかつグラフィック、音楽、操作性などが総合的に優れているもの

これは、ガッテン!

投稿者 : 匿名

「コンピュータゲーム、ビデオゲームのことを指す」なら将棋自体を代表例にもってきてもらっても困るわな。アナログゲームの代表だし。

レースゲーム云々はコンピュータゲームの代表の1例でいいかもしれないけど、これにもれず「コンピュータゲーム」の本質はシムじゃね?

そのままシムであるところのレースゲームなりフライトシム系なりは言うまでもなく、TTRPGを一人で遊べるようにシムったRPG、ボードゲームを一人で遊べるようにシムったシミュレーションとかストラテジー系ゲーム、どれもゲーム性はコンピュータゲーム自体の外にあるものさ。

で、なぜが除外したがっているアドベンチャー系が、=電子ブックを否定する要素はないが、コンピュータゲームを否定する要素もない気がするんだが。
読書シムを表現方面でエンハンスしたもんだし、まさにコンピュータゲームの流れの代表。


そんなんより、RPGとADVは名前逆だよなー。というほうが気になる。
世の中のADVは冒険とは無縁の役割を演じるゲームだよねー。
世の中のRPGは役割演じてるというより冒険ゲームだよねー。

投稿者 : 匿名

ゲーム性について今はまっているらしいDQ10で語って貰えませんか?
評価サイトだとレベル上げは同じ敵を延々と倒す単調なもの、
ボスクラスの敵だと前衛は小ダメージしか与えられる、後衛ありきな戦闘なようで
どこらへんにゲーム性の面白さあるのかイマイチわかりません。
WiiU発売も迫っていてやってみようか迷っているので
戦闘に関してのゲーム性だけで良いので語ってもらえると嬉しいです。

投稿者 : ドルマゲス

いわゆるエロゲーに多いのは、アドベンチャーゲームでなく、弟切草からくるノベルゲームなわけだけど、
弟切草については当時もゲームというべきかの議論があった。
続編のかまいたちの夜は謎を解く感覚を重視して、ゲーム性が上がっていた。
で、最近のエロゲはよく知らないけど、好感度上げてどう、ということなら、それなりにゲームだと思う。
目的が設定されていて、そのためのルールがあるわけだから。

一方でゲームじゃないなと思うのはどうぶつの森。ダメゲーとはいわないけど、ゲーム性は無いに等しいと思う。
逆に、最近のでグラはショボイけどかなりゲーム性の高いものというと、脳トレシリーズ。
あれって思いっきりゲームだよね。

投稿者 : 匿名

ルールがゲーム性、というのはどうなのかな
端的に言うなら意思決定だと思いますけどね
それを核に目標なり道具(ルール)なり結果なりetc
コスティキャンかぶれですけど

投稿者 : 匿名

そしたら18年前の某恋愛SLGはゲームじゃねえのかって
話になるわな

投稿者 : 匿名

ゲーム性が重要と言うのは同意できるけど、TVゲームだと言う時点でグラフィックも同じくらい重要な事を忘れてないか
TVゲームで言うならグラフィックと言うのはそのゲームの表現方法そのものなんだぞ、
チェスや将棋などの元来あるゲーム性にグラフィックを加えて、
映像による表現とそれによって生まれる多種多様なゲーム性を獲得出来たのがTVゲームだろ
ゲーム性が一番重要なのはそれこそチェスや将棋などのボードゲームの方だよ、TVゲームに限ってはゲーム性とグラフィックは同列に並ぶもの


漫画とかで例えると原作がゲーム性で作画がグラフィックに当たるわけだ、どちらの方が重要とか優劣つけるもんじゃないし、
どちらが掛けても駄目なものであって全く等しく重要でしょ

投稿者 : 匿名

テキストアドベンチャーはゲーム性がないんですかね
ミステリーハウスはゲーム性が無いの?

投稿者 : 匿名

どうぶつの森はゲームというよりコミュニケーションツールやSNSの役割だしね、パズドラとか流行ってるみたいだしゲーム性なんて僅かでいいと思うよ。
家でガッツリゲームしたいって層が減ったんだな。

投稿者 : 匿名

言いたいことはわかるんだけど、ゼルダとか龍が如くとかも(アクション)アドベンチャーゲームなわけで……
そこはノベルゲームとかテキストアドベンチャーという表記にしたほうがしっくりくると思う。

グラフィックよりゲーム性が重要ってのは同意だけど、中身はいいのにグラフィックでダメにしたゲームもあるよ。噂にきくオプーナとかな。
目の肥えた今となってはグラフィックがいいのが当たり前で、そのうえでゲーム性が重要だわ。

投稿者 : 匿名

>ガッテンしていただけたでしょうか

少々モヤットボールを投げたくなりました。

初期のTVゲームを知る身とすれば なおのこと。

投稿者 : 匿名

ゲームらしいゲームは多分自分も好きですが
じゃあゲームらしいゲームは何か、というのはナンセンスな気がしないでもないですな

投稿者 : 匿名

ゲーム性、音楽性、ドラマ性、ストーリー性・・・。
〇〇性という言葉、一見すると割りと もっともらしく
聞こえるけれど実は結構抽象的で分かりにくい曖昧な
言い方だよね。

投稿者 : 匿名

こういう話をする前にはまず、いまから語る「ゲーム」というのはどういった範囲の作品を指すのかを明確にしておきたい。

・「映画」はゲームか?
・「サウンドノベル」はゲームか?
・「バネキット(物理エンジン)」はゲームか?
・「シムシティ」や「フライトシミュレータ」はゲームか?

このエントリに関して言えば、最初は上記の勝利条件と敗北条件の明確に決まっていないものは全てゲームではないという狭義の定義に従っているように見える。

投稿者 : 匿名

個人的には、ロボゲー人生の私にグラフィックは死活問題です
ACVはその点は素晴らしいです。アクションなのでオンラインでの個人差はありますが、操作性もいわいるゲーム性みたいなモノなんで

個人的に時間制限とかあると辛いです。
っと、三日前にACVをやり始めた人の感想です。

投稿者 : どこにでもいる人

ゲーム性のあるテキストアドベンチャーっていうと、
・Yu-No
・街,428,タイムトラベラーズ
・逆転裁判シリーズ
・Remember11
なんかが思い浮かびます。

CLANNADなんかは、普通に目的の女の子狙いの選択肢ばかり選ぶだけでもクリアできてしまうゲームですが、本筋のシナリオとは関係ない寄り道にも、物凄く力が入れられていて、寄り道をするために、楽しんで、いろんな選択肢の組み合わせを選ぶことができるゲームです。

こうしたら、こうなるんじゃないかな?というクリアするには直接関係ないユーザーの試行錯誤に対しても、ちゃんとリアクションを返してくれる懐を持っているわけで、そういうのもゲーム性とよんでも良いような気がします。

あと、Ever17なんかは、ゲーム性はないかもしれませんが、
そのシナリオ上、ゲームでしか表現しえないものなので、
こういうゲームは、ゲーム性ありなしとかでは語れないゲームだと思います。

投稿者 : 匿名

この理屈は古くないかな?
「コンピュータゲームの本質がルールにはない」ってのはソーシャルゲームが証明してると思うけど。
コンピュータゲームは「期待された正のフィードバックを返すソフト」でしかないよ。

プレイヤーは客で、満足するようなフィードバックが帰ることしか望んでない。
優れたルールなんてのは、所詮は優れた勝利を演出するスパイスでしかない。
つまりはコンピュータゲームにとってのルールってのは、グラフィックやストーリーと等価のものだよ。
ルールが第一だとするなら、とてつもなく強い将棋ゲームが楽しいかどうか想像してみたらどう?
こんなのやるやつはプロ棋士志望かマゾだね。
グラフィック、ストーリー、ルール、どれに重きを置くかはプレイヤー次第なので、どれか一つをあげて「この要素がよくないとゲームじゃない」なんていうのは意味ないことだよ。

このことは、残念だけどコンピュータゲームがとてもくだらないものだってのを証明してる。
ただ、同時にコンピュータゲームはどんな形にも発展していける多様性のあるものだってことでもあるけど。

長くてごめんね。

投稿者 : 匿名

そのゲーム性という定義の無い曖昧な日本語が言い訳に使われてしまったから
日本は海外に負けてビデオゲーム業界の主戦場では無くなってしまったんですがね

単に技術力が無い低クオリティゲームも「このゲームにはゲーム性がある」と実体の無い言い訳をし続けて
技術力の向上を怠った結果海外のゲーム会社に取り返しのつかないほどの差を広げられてしまったという訳です

実体の無いゲーム性というものを語るならまず必要最低限の技術力を身に付けてから言うべきです
実力も無いのに自分に才能があると妄信している自称アーティストじゃないんですからね

正直な所私はゲーム性という言葉が言い訳に使われるようになったという事が
国内ゲーム業界を衰退させる原因となった最も大きな要因の1つであると認識してますよ。

投稿者 : 匿名

投稿者 : 2013年3月13日 23:24

これをいえばかつての「電車でGO」もそうだろうが
飛行機操縦や電車運転系のシミュレーション物はゲームにあって成らずか

投稿者 : 匿名

シミュレーション物はカテ挙げればキリないので他に建設機械等実機シム

投稿者 : 匿名

グラがすべてではない・・・がそこを手抜きしていいわけではないし、いいならいいに越したことはないだろう
ゲーム性という言葉が今は一部の人たちに都合よく使われているだけ

投稿者 : 匿名

ゲーム性の定義は確かに難しいな
目的いたるまでの取捨選択の幅とでもいうべきか。
個人的な体感だけど繰り返し遊ぼうと思えるゲームが結局ゲーム性に富んでるってことなのかなと思わんでもない。

投稿者 : 匿名

電車でGOはゲーム性あったろうが。
電車から見た景観を表示するシミュレーターなどはそれ以前にもあったが、アーケードゲームとしてちゃんとインカムが稼げるだけのわかりやすいゲーム性を備えたのは電車でGOが最初だった。

シミュレーター系はなんだかんだいって純粋にシミュレーターに徹してるものなんてまず無い。
そんなの作っても教習所のマシンみたいなのになっちまうからな。
フライトシムだけは例外かもしれんが、あれは希有な例だな。

どれもゲームとしてどこが面白いかってポイントを探して、それが味付けになってる。

投稿者 : 匿名

自分で考えて動かすか、ゲームに動かされるかの違いじゃね?

グラフィックは汚いよりは綺麗がいいよ。それは確かだけど、プレイヤー置いてけぼりで映像ばっかり見させられるなら映像作品でいいじゃんってなる。

投稿者 : 匿名

教条主義的な思考に陥った時点で合点のいく結論ではないな。
むしろ、作り手もユーザーもそういった要素に囚われている限り「素晴らしいゲーム」が殆んど出てくることは無い。
落語で言う「フラ」が欠けている。

投稿者 : 匿名

>投稿者 : 2013年3月14日 00:12
>コンピュータゲームは「期待された正のフィードバックを返すソフト」でしかないよ。

それは分析甘いと思うな。
>ルールが第一だとするなら、とてつもなく強い将棋ゲームが楽しいかどうか想像してみたらどう?
なんでルールの話で「とてつもなく強い」に行くのかわからんがそれは置いといて、
逆に、「正のフィードバックを返す」だけでいいなら、
ボタン押してれば進む、負けの無いゲームでいいってことになるけど、
実際ソシャゲは対人要素(=相手との勝ち負け)ないとすぐしぼむ。
負けた悔しい!だからもっと強くなってやる!っていうゲームだよ。
ただ、勝利を得る条件の中で、プレイテクニックの比重が軽く、
お金や費やした時間の要素が強いとは思うが

投稿者 : 匿名

批判ばっかしてないで、
具体的になにが自分にとっていいゲームで、
どれが悪いゲームだったのかを教えてほしい。
タイトルを。
個人的な好き嫌いになるのはわかるけど、
それ次第で、まこなこが何にひいきしてるかわかるから。

投稿者 : 匿名

ようは、決められた選択を進めるだけのテキストADは、ゲーム性が低いって事でしょ。

”弟切草”は、発売前「その金で小説買った方がいいんじゃないの?」とか言われてたけど、音やマルチEDでゲームになった。

でも、ゲームは、ゲームだがゲーム性が低い。

長くゲームをやってると、上手くなる。
しかしADは、上達ってのが、あまり必要としない。
そんな事も、関係あるのでしょう。

投稿者 : 匿名

結局何が言いたい記事なん?
新ハード出るけどグラフィックばっか追求してないでゲーム性を良くしろって事?

投稿者 : 匿名

この手の「〇〇とは何ぞや」という定義付けは存外難しい。
例えば詩。短歌や俳句のように季語や字数といった形式的なルールがないため、詩を詩たらしめるものを定義し、かつそれを具体的に説明するのは専門家であっても(むしろ専門家だからこそ)なかなかに大変。
ゲーム性も似たようなもので、概念として共有は出来てもそれを定義付けするのは困難を伴う。しかし逆に言えば、その曖昧さこそがゲームの発展の予知なのかと思ったり。

投稿者 : 匿名

単純な話、
グラフィックを追及すると開発費が高騰し、
肺倍代金も高くなってしまい、
もし売れなかったら次回作が作れない。

ゲーム性もグラも音楽も操作性も大事だけど、
バランス調整のできてないゲームは
遊べないっていうのも追記おねがいします。

投稿者 : 匿名

>新ハード出るけどグラフィックばっか追求してないでゲーム性を良くしろって事?


和ゲーにとっては真逆のことなんだけどな
洋ゲーと違ってグラを全く追求しないで
人によって基準・価値が異なるゲーム性とやらで勝負してるらしい

投稿者 : 匿名

>ジャンケンをして負けたほうが100メートルを走る
>ここに、ゲーム性の追加が見られ、人によっては受け入れられるかもしれない

罰や報酬(サンクション)の追加は、ゲーム性の追加とは言えないと思う。
~できなければ罰、~できれば報酬というのは、ギャンブルが代表的だろう。
ジャンケンで勝てば持ち金が増える、負ければ持ち金が減る…。

ビデオゲームだと、報酬では、麻雀に勝つとHな画像が見られる、
クリアすると、おめでとう!的なエンディングが見られる、
RPGをある程度クリアすれば壮大な挿入ビジュアルムービーが見られる…、
罰の方だと、あまり思いつかないが、バッドエンディングがあるな。
しかし、クリアはしたがエンディング画面を見る直前にリセットしたプレイヤーでも、
ゲームに勝ったことには変わりはないだろう。

お金や物品を賭けるからこそ楽しめるという人もいるが、
何も賭けずジャンケンやサイコロの振り合いだけでも、勝敗を付ければゲームだ。
しかしいくらゲームとは言え、ジャンケンやサイコロ振りを百回やって勝敗を決め、
罰も報酬も無いと言われれば、流石に多くの人がウンザリするだろう。
つまり、ゲームとは、そういう罰や報酬以前の部分のことだし、
ゲーム性の追加とは、その罰や報酬以前の部分に何か追加されているかってことだ。
例えば点数、ジャンケンの勝ち手に点数を付け、グーで勝ったら5点、チョキだと3点、パーだと1点とすれば、
勝ち組の中でも、グーで勝った者とチョキで勝った者とで、勝敗の差が付くわけだ。
つまり罰や報酬以前の部分に、勝敗を決める要素が追加される。


>ゲーム性とはルールのようなもの。ルールではあるが、
>そのルールには楽しむために必要な、という条件がある。

楽しみとか苦痛とかの言葉は曖昧だ。

罰や報酬が、例の百メートル走るといった肉体的な苦痛、あるいは快楽ならば、一貫性がありそうだが、
ビデオゲームの場合、Hな画像は不快だ、
壮大な挿入ビジュアルムービーは垂れ流しで退屈だ、
むしろバッドエンドを見たいなどと言うプレイヤーも多いし、
人それぞれで、罰と受け取るか報酬と受け取るかは、主観による部分が大きいように思える。
特に近年は、これらの罰や報酬の冗長さに対する批判は多いのでは?

また、勝敗の要素が無くとも楽しめるものも世の中にはある。
パズルやクイズは、解答者が正解を出せれば解答者の勝ち、
出せなければ出題者の勝ちというルールが無くても成り立つものだし、
解く行為自体が楽しみだったりするわけだ。
将棋と詰め将棋との違いかな。
敵キャラ(コンピュータと競う要素)もいないし、
タイムや点数(他人と競う要素)も無い、
パズルゲームというよりただのパズルじゃねーの?と批判されるパズルゲーム?もあるよな。

ゲームと、ギャンブルやパズル、クイズなどゲーム以外の娯楽との違いを意識しつつ、
ゲーム性なるものは考えていく必要があるかと思う。

投稿者 : 匿名

>>ルールが第一だとするなら、とてつもなく強い将棋ゲームが楽しいかどうか想像してみたらどう?
> なんでルールの話で「とてつもなく強い」に行くのかわからんがそれは置いといて、
将棋のように完成されたルールがあっても、どうやったって勝てそうにないゲームを続ける人がどれくらいいるかってことだよ。
ひたすら負け続けるゲームはただの苦行だと思うよ。

>ボタン押してれば進む、負けの無いゲームでいいってことになるけど、
> 実際ソシャゲは対人要素(=相手との勝ち負け)ないとすぐしぼむ。
プレイヤーを負かすゲームなんて意味がない。
コンピュータゲームは結局は客への接待なわけで、適度にピンチを演出しつつ、プレイヤーに勝利の美酒を振る舞う必要がある。
途中の負けは勝利を演出する単なるスパイスのレベルで十分。
ソシャゲだって、勝つ見込みがないくらいに徹底的に負けたらやめてしまうかもしれないでしょ?
他人と競争しているように見えればよくて、実際に競争させて負けさせる必要はないんだよ。
アルゴリズムでピンチやチャンスを演出しつつ、最後にはプレイヤーに支払い額に見合った勝利を与えれば、ユーザにもっとお金を出させることができると思うけどなあ。
まあ、実際にこれをやったら、すぐにインチキがばれると思うけどね。

投稿者 : 匿名

ビデオゲームでのゲーム性って、
アクションに対してのリアクション
リスクに対してのリターン
ストレスに対してのサティスファクション
をルールに沿って返すものでしょ?

投稿者 : 匿名

まあノンゲームハードにも需要があるし必要だとは思うけどね
ただ出しゃばっちゃ駄目だな
音ゲーみたいにすみっこで盛り上がってないとゲーム業界全体を腐らせるだけ

投稿者 : 匿名

>ゲーム性とはルールのようなもの。ルールではあるが、そのルールには楽しむために必要な、という条件がある。
>わかりやすく説明するために、ジャンケンを例にしてみよう。

この例にすごく違和感があるんだけど・・・
試しに完全にランダムな手が出るジャンケンゲームつくってみなよ。
何がおきるか簡単に想像できるでしょ?

結論から言ってしまうとジャンケンはゲームではない。
なぜならゲームを成立させる最低限の条件を満たしていないから。
相手の手を読んで戦略を立てる、あるいは何らかのコストを支払って相手の手を制限するなどのかけひきの要素がないとゲームとしては成立しない。
ゲームとして成立していないものに罰ゲームをどんなに追加してもゲームにはならない。
もちろん報酬を追加してもゲームとはいえない。
こうしてできるのがみんなに嫌われる「運ゲー」そのものだよ。

>それでも、ゲームを語るのであれば、大前提となるのはゲーム性だ。グラフィックなどはゲーム性があってのものにしかすぎない。

そもそも、あなたはゲーム性が何なのかよく分かってないのでは?

投稿者 : 匿名

まあ、自分の中でのゲームの定義ってあれだな。「省略」の部分だな。
レースゲームでこんな動きしねーだろ!おい!とか、アイテム取って敵にぶつけるとか、エンターテイメントとしての付加価値だな。サービス業と一緒。

新鮮な素材屋があって、発想の組み合わせでどんな付加価値をつけるか。これが大事。なので別にリアルである必要性はまったくないよ。そんなの、後後(笑)
どれだけハマれる要素とか、夢中になる付加価値をどれだけゲーム性として盛り込めるかでしょう。

投稿者 : ひでとし

これは近年戦闘アニメを楽しむだけのゲームになりつつあるスパロボへの批判でしょうか?

ノベル系ゲームのゲーム性に関しては難しい所ですね。
流石に選択肢が0でただ読んでいく・・・或いは選択肢なんてあってないようなゲームは電子ブックですが、プレイヤーの行動次第で展開が大きく変わるようなものなら、そこにゲーム性を見出すことが出来ると思います。
それと、ゲームブックはアイテムの収拾やサイコロをふるものなどあるし、本の延長線上というよりはTRPGの派生的なものだと思います。まあ、ゲーム要素を無視して単なる読み物としてゲームブックを買う人もいるので、どう捉えるかは人それぞれだったりしますが。

グラフィックは良いに越した事はないけど、PS2レベルあれば満足出来るので、私は水準以下(ポリゴンが荒いとか)でもない限りそんなにこ拘りませんね。私自身ファミコン世代だから拘らないだけなのかもしれませんが。
個人的には3Dやグラフィックばかり賞賛されて2Dドットが廃れていってるのは残念だと思います。
軌跡シリーズも3Dグラフィックになってしまったし、PS3やVitaだと零や碧レベルのグラフィックじゃ許されないのかもしれませんけど、やはり残念です。

投稿者 : 匿名

ゲーム=ルールって否定してるようなコメがあるけど、
二人で追いかけっこする、触られた方は、鬼になる=鬼ごっこ
それに高い所に逃げれば、触れない=たか鬼。
逃げる・追いかけるで複数で分かれ、捕まられても逃げるグループが開放することも出来る=ドロケイorケイドロ

同じような(追いかける)事でも、ルールが違うだけで、違った遊びになる。

ゲーム(TV,ボード等含む)性は、ルールが重要って事で
ルールがなかったら、ただ触っただけ。
触ったら鬼になるってルールがあるから、ゲーム(遊び)になるんだから。


ちなみに、
楽しいか、楽しくないかじゃ判断できない。
2人でやれば、どちらかが負ける。
負けた方は、楽しくないって人が多い。

将棋は、腕で運の要素がない。
格ゲーだって極めた人とやっても、自分が素人なら面白くない。
将棋も格ゲーも、負けると分かってても、ある程度やってる人なら、楽しめるけどね。

逆に麻雀は、
たまにプロが、素人に負けるときがあり
運の要素が強いゲームなので、人気があると思ってる。

投稿者 : 匿名

自キャラを自分で操作してカタルシスを得るのが
ゲームならば、程度の差はあれ全部ゲームと言える。
ゲームじゃないと言えるのは、操作してもそれが
不自然で思い通りに動かず、プレイヤーの行動に
対する反応や結果がおざなりな時である。

投稿者 : 匿名

最近の日本のゲームはゲーム性というより、エンタテインメント性を重視してる感はあるけど。

別にわるいことではないけけど、格ゲーとかRTSみたいにプレイヤー自身の性能が勝敗を分けるものをゲームって呼びたい。

投稿者 : 匿名

答えをいうと「セット」なんだよ。
たとえば「カイジ」って漫画があるが、あの漫画はへたくそだからといって、別の絵を当てたりしても、面白くない。あの絵があってこそなんだ。だからあのへたくそな絵と、そのストーリーで「セット」なんだよな。

グラがきれいなら、ゲームもそれに合わせてバランスをとる必要がある。どちらが重要か?ではなく、単にセットなだけなんだわ。

投稿者 : 匿名

インタラクティブ性やルールとかは必須要素ですけど、差別化要素(らしさ)では無いんですよね。プレイヤーという要素を横に並べてもいい。

投稿者 : 匿名

ゲーム性を追求したFF12、FF13が受け付けないことからPRGはムービー目当てのユーザーが多い印象。
両タイトルともゲームとしてはかなり面白い分類だった。
ただストーリーが死んでいたからクソゲーと呼ばれる。

スパロボに至ってはα外伝でゲーム性非難されてから大雑把になりました。
今のスパロボ深読みして育成するとシステムと噛み合いが悪く遊びての思惑通りに動かせない。
出撃ユニット多すぎ、与えるダメージ不明、CPUの思考不明と考える事無視してるとSLGとしては面白くない、のに惰性買ってる…

投稿者 : 匿名

>それでも、ゲームを語るのであれば、大前提となるのはゲーム性だ。グラフィックなどはゲーム性があってのものにしかすぎない。


逆じゃねえの?
グラフィックというか
商業作品なんだからまず高水準のクオリティを保持する事が第一優先だろ
それから「じゃあこのクオリティでどんなゲームが作れるのだろうか?」となるんだろ。

最初にクオリティを余所に置いておいて
ゲーム性だのなんだのを第一で作るのは同人ゲームやフリーゲームの発想でしょうが
何の為に商業でやってるんだ??

クオリティと言うのは自力というか下地に当たるわけだろ
その下地が出来てないのに演技種目を決めてもしょうがないでしょ。

アニメーションとかでも国内で頂点に立つジブリや世界で頂点に立つディズニー等は
業界最高レベルのクオリティを保持しつつ不動の王者として君臨し続けてるわけだしな
それなのに似たような業界であるゲーム業界だけクオリティを蔑ろにして誤魔化しちゃ駄目でしょー。

投稿者 : 匿名

>本でも選択肢を設け、選んだ選択肢の該当ページに進んで本を読み進めるというものがある

むしろこういったゲームブックを「ゲーム性を取り入れた本」だと考えた方がいいんじゃないの

投稿者 : 匿名

なんでいきなりこんな記事書いたのかは知らないですけど、いってる事には大体同意しときます

まあ今まで発売されてて人気の出たゲームってのは、
だいたいゲーム性に優れていると思われますので、
そういうゲームは順当にグラフィックも進化させてもらいたいもんですね

携帯機や性能面で劣る代わりに特殊なデバイスのある他のハードに適合した形で派生作品を出すなどはいい試みだと思いますが、
本編をそっくり移しちゃうようなのはごめんですね

投稿者 : 匿名

>>別にわるいことではないけけど、格ゲーとかRTSみたいにプレイヤー自身の性能が勝敗を分けるものをゲームって呼びたい。

お手々繋いでゴールインが好きだからな一般人は
ただゲーマーの人口より一般人の人口の方が多いんだからこういうゲーム増えるよな

投稿者 : 匿名

>投稿者 : 2013年3月15日 01:07
>結論から言ってしまうとジャンケンはゲームではない

グーは、チョキに強く、パーに弱い
パーは、チョキに弱く、グーに強い。

このルールがなければ、成り立たないし、
キチンとしたルールがあるならゲームだよ。

それと運ゲーは、嫌われてないよ。逆に好かれてる。
すでに麻雀の例を出したけど、弱くてもたまに勝てるから楽しめる。
100%実力よりも、実力+運の方が楽しんでる人が多い。

運ゲーを嫌がってる人が多いなら、
麻雀・トランプよりも、囲碁、将棋、チェスの方が広まってるしね。

投稿者 : 匿名

>投稿者 : 2013年3月14日 22:13
その意見には概ね同意だけど、それはまこなこへの反論になってないし、
>投稿者 : 2013年3月14日 00:12
とも違う話(こちらはストレスはどうでもいい、プラスさえあればいいと聞こえる)になってると感じた。

>途中の負けは勝利を演出する単なるスパイスのレベルで十分。
そのスパイス(やり方次第では勝てると思わせること)のために、ルールが必要ってことなんだから

投稿者 : 匿名

自分にとって紙芝居エロゲギャルゲは
ゲームというより絵、音楽、物語、雰囲気を堪能するもの。
出来のいいものなら4~5000円の価値はあるかと。

Airやクラナドの感動、Fateの興奮、
EVER17の衝撃の展開をもっと味わいたい。

投稿者 : 匿名

>途中の負けは勝利を演出する単なるスパイスのレベルで十分。
そのスパイス(やり方次第では勝てると思わせること)のために、ルールが必要ってことなんだから

一般的に、プレイヤーは適度に勝負が均衡した上で、自分の勝ちで終わるのを望んでいると考えられる。
だったら、CPUがそうなるように調整すればいい。
勝ち負けはゲームのルールによるものではなくて、CPUが演出として調整した勝ち負けでかまわない。
そのためには、プレイヤーがうまく立ち回ってもピンチにする必要があるし、へたくそでもチャンスを作る必要がある。
それもプレイヤーにばれないようにね。
こういう調整自体がルールだというなら、それはメタルールみたいなもので、ゲームのルールとは本質的には違う。
このメタルールはプレイヤーには提示されないからね。
もし、こういう演出で勝敗が決まるならそもそもそルールは高度なものでなくていい気もする。

それでも高度なルールは必要だ。
それは「こんな複雑なルールのゲームで勝利した」という満足感を与えるためだよ。
じゃんけんで勝つより、将棋で勝つ方がうれしい。
だとしたら、ルールっていうのはグラフィックとどう違う?
「こんなに素晴らしいグラフィックのゲームで遊んでいる」という満足感とどんな差があるんだろう。

自分はゲームのおもしろさの本質はこういうCPUのイカサマにあると思ってる。
接待マージャンで必ず客に勝たせるのと同じ。
「そんなの底が浅いじゃないか」と指摘したいと思うけど、それはその通り。
でも、ボタン一個で事足りるゲームを遊ぶような人たちにとって、奥深いゲームに意味があるかな?
残念なことに、今のゲーム業界はそういう人たちに支えられているのも事実だよ。
所詮、僕たちゲーマーはマイノリティなんだよ。
僕たちに向けて作られるゲームが、いつかなくなってしまうなんて未来が来ないといいね。

投稿者 : 匿名

知恵の輪には力尽くで外してはいけない、
ルービックキューブには分解して戻してはいけない、
詰め将棋にはゲーム将棋の駒と同じ動きをさせなければならないというルールがある。
ルールの存在だけではゲームとパズルの区別が付かない。
パズルゲームなのか?電子パズルなのか?
脳トレゲームみたいのが氾濫したとき、批判が難しいぞ。

投稿者 : 匿名

ゲームの定義を考えるのはとても有意義に感じる。
ユーザーが求めるもの、開発が作りたい・作れるものは絶えず内因、外因的要素で変化するので、定義(骨子)が何であるかを考えるべき。

ゲームとその定義が健やかに発展するにはユーザー一人ひとりが賢い消費者であるよう努力しなければならない(ゲームに何を求めるかを明確にし、タイトルやナンバリングに迷わされず体験版や公開情報で作品を検証し自らの要求を満たさなければ購入を検討する)。開発は小売は売り上げがでる=よい作品とする傾向があるので、ゲーマーであればあるほど真摯な姿勢で購入にあたる必要がある。

先の投稿に[ゲーマーはマイノリティだよ]とありますが生活の中でゲームは余暇を過ごす要素の一部でありその優先順位は一般的には高くないはず。例)余暇が長時間の場合ゲームより旅行や食事、飲み会etcの方が優先順位が高い。

ゲームとして成り立っていないものとしてすぐさま浮かぶのはソーシャルなにがし(5分から10分の時間つぶしを提供する基本無料サービス)。は不特定多数の参加者、不安定な売り上げ、サーバ経由のアクセスと同期のずれ、予定どおりには進行できないスケジュール・ロードマップ、進捗管理できないスタッフ(人材、人数の不足)etcが安定した持続的サービスは現状のインフラでは難しくガチャをいかに回させるかに執着していては未来がない。いつまでガチャ依存のゲーム未満の作品、その劣化を世に垂れ流すのか。。。残念なユーザーが残念な開発および運営に洗脳されガチャに投資し、その総額によって勝敗がきまるマネーゲーム。ゲームとして成り立っていないものが蔓延する将来を防ぐのは、ゲームの定義を考え賢く購入することが肝要。

投稿者 : 匿名

グラは、ゲームの内容にまで作用するんだよな。例えばレースゲームでいえば、ファミコンでのレースゲームはアウトランとかそんな感じのゲームや、ミニカーみたいなのを走らせるようなゲームしかなかったわけ。

投稿者 : 匿名

投稿者 : 2013年3月15日 06:41
クオリティっていうのは質って意味だから内容も含むよね
ジブリやディズニーが業界をリードできるのは作画が綺麗だからじゃなく中身に徹底的に拘ってるからだと思うがね
むしろ作画ならサンライズの方が上だよ
でも子どもや家族と安心して見られるというのは大きい
ディズニーのアニメなら半裸の女の子が踊ったり血が飛び散ったりナタで首を切り落としたりしないでしょ
ゲームが売れないと言われる時代に大したグラでもないぶつ森が300万本売れるっているのはそういうことなんじゃね

投稿者 : 匿名

>投稿者 : 2013年3月16日 23:43

作画ならサンライズの方が上というのは悪いがネタにしか聞こえないからスルーするけど。

あなたのいう内容ってキャラやストーリーや演出の事を言ってるの?
それなら俺は到底同意できないね
ジブリやディズニーの人気作品全てが徹底的に拘っているというのは幻想だと思う
例えばゲド戦記はストーリーや演出に拘っているとは全く思えないわ。

そもそも「拘る=内容が良い」じゃないしポニョなんかそのせいで内容的には失敗した作品だ
逆に多くの人に受けが良い作品だからって内容が良いとは限らない
本当に内容が良い作品というのは何十年も「あの作品は本当に面白かった」と語り草になるような作品じゃないかね?。

もちろんジブリ作品の中にはストーリ的にも演出的にも他を圧倒してる内容が良い作品がいくつかあることは認めるよ
ただ常に業界最高レベルといえるものは作画くらいなものでしょ
ディズニーだって同じ事だ。

まあ流石に作画だけで売れているとはいわないけどね
大半はブランド力のおかげだろうし。

投稿者 : 匿名

恋愛シミュレーション…
ときメモはゲームだけどTOHEARTは電子ブック
なんとなくそんな感じ
最近だとソーシャルゲーがこういった議論が多そう
パズドラはゲーム性が高いという評判だが、逆に従来流行してたロワイヤルやモバマスはゲームと呼べるのかどうか
もっともコンシューマとソーシャルゲーではゲーム性の定義が違うのかもしれないけど

投稿者 : 匿名

ぶつ森が売れてる理由はグリーやモバゲーが売れてるのと100%同じ理由だよ、客層もほぼ完全に同じだし

投稿者 : 匿名

ゲーム性って言い方じゃ無く、
ギャンブル性って言い方なら、
すっきり纏まるんじゃ無いかな

投稿者 : 匿名

>投稿者 : 2013年3月17日 00:36
「ジブリが」っていったら基本的にハヤオ(と精々高畑)作品だろうから、
ゲドをあげるなんて意地悪な揚げ足取りにしかみえないよ…

投稿者 : 匿名

アドベンチャーゲームで

○○があらわれた

F.たたかう
S.じゅもん
R.にげる


めいきゅうのいりぐちだ

F.すすむ
B.もどる
R.みぎをむく
L.ひだりをむく


って選択肢があるのはゲーム性が無く、ゲームじゃないって定義?

投稿者 : 匿名

ディズニー作品って、失敗が許されないビッグタイトルだから。
スピンオフで多少違った方向性の試行はあっても、基本は王道が求められる。
億円単位の製作費をつぎ込むんだから、億円単位の収益が見込める大衆性嗜好作品に仕上げるのは至極まっとうな制作体制。

ゲームでいえばドラクエ、マリオ、FFみたいな。
FFはタイトルごとに微妙にブレはあるけど。

とにかく大作を作ろうとした意気込みだけで突っ走って
大失敗のシェンムーが良い例。

投稿者 : 匿名

>投稿者 : 2013年3月18日 10:36


ポニョはハヤオ作品だよ

投稿者 : 匿名

ぶつ森がゲームじゃないと言ってる奴にゲームを語る資格はない
リセットさんの説教を20回くらい聞いてから出直して来い

投稿者 : 匿名

PCエンジン版イース、天外魔境2や、メディアワークスの雑誌で活躍した岩崎啓眞氏のツイッターで
「信じられないほど酷い文がコレw」と揶揄されていますね。

投稿者 : 匿名

アドベンチャーゲームもゲームだよ。
ポートピアとかプレイヤーが主人公になって、
推理して考えるゲームだからね。
多用な選択支から正解を導く。
完璧なゲームです。
エロゲとか知らんが、単純な2択程度のものも
正解か不正解みたいなプレイヤーが考える部分あるなら、
ゲームだよ。
ゲーム性の薄さはあるにせよ。

投稿者 : どん

今読むと、ちょっとずつ価値観が変わってきてる感じがして面白い。

投稿者 : 匿名